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光GENJIの圧倒的バレンタインチョコ伝説とは?

光GENJIの圧倒的バレンタインチョコ伝説 コラム

昭和のバレンタイン伝説!アイドルに贈られた驚愕のチョコの数とは?

近年では、本命チョコや義理チョコに加え、自分へのご褒美チョコ、友達同士で贈り合う「友チョコ」、男性から女性へ贈る「逆チョコ」など、さまざまなスタイルが定着している。しかし、昭和の時代にはバレンタインチョコが、アイドルの人気を測る指標の一つとなっていた。特に伝説的な記録を残したのが、ジャニーズの人気グループ「光GENJI」だ。彼らが受け取ったチョコレートの量は、まさに前代未聞のレベルだった。

4トントラック36台分!光GENJIの圧倒的バレンタインチョコ伝説

1980年代後半、爆発的な人気を誇った「光GENJI」。彼らのもとには、毎年驚くべき量のチョコレートが届いた。中でも有名なのが、ある年に4トントラック36台分ものチョコを受け取ったというエピソードだ。

4トントラック1台分の容積は、一般的な2LDKのマンションに住む家族の引っ越し時に必要な荷物量に相当する。それが36台分ともなれば、その圧倒的な量が想像できるだろう。元メンバーの諸星和己は、当時の状況についてこう語っている。

「日本武道館にチョコをすべて運ぶと、1階が全部チョコになる。2階から手を伸ばすと1階のチョコが取れる」

この異常ともいえるチョコの量は、毎年ニュースにもなるほどだった。送られたチョコの多くは児童福祉施設や海外の恵まれない子どもたちに寄付されていたが、それでも処理しきれないほどの量が届いていたという。

ジャニーズ全盛期、年間150万個のチョコが届く時代へ

光GENJIが解散した1995年以降も、ジャニーズ事務所には膨大な数のチョコが届き続けた。ピーク時にはトラック50台分、約150万個のチョコが贈られたという。単純計算で1個200円とすると、総額は3億円にも及ぶ。この現象は、バレンタインデーが「アイドルの人気を数値化するイベント」として機能していたことを示している。

しかし、1995年の阪神・淡路大震災を機に「チョコを募金に変えよう」という動きが広がり、バレンタインチョコの贈呈文化にも変化が訪れた。また、一部のファンによる悪質な行為が問題視されるようになった。カミソリの刃や髪の毛が混入した手作りチョコが送られる事例もあり、ついにはジャニーズ事務所がファンレター以外のプレゼントを全面禁止とする措置を取ることになった。その結果、バレンタインチョコの大量贈呈は終焉を迎えた。

光GENJIの圧倒的バレンタインチョコ伝説

昭和の「チョコレート所得番付」—アイドルの人気を示すバロメーター

バレンタインデーがアイドル人気の指標となっていた1980年代、チョコの数をランキング化する「チョコレート所得番付」が存在していた。1986年には、週刊誌「週刊平凡」が芸能事務所に取材を行い、アイドルやタレントがどれだけのチョコを受け取ったのかを発表した。

この年のランキングは以下の通りだった。

第3位:C-C-B(6000個)

1985年に「Romanticが止まらない」が大ヒットし、一躍国民的バンドとなったC-C-B。翌年のバレンタインデーには6000個ものチョコが届き、3位にランクインした。

第2位:ビートたけし(1万個)

意外なことに、漫才師でありタレントのビートたけしが2位を獲得。漫才ブームの先駆者として圧倒的な人気を誇り、当時はレギュラー番組を8本も抱えていた。その人気の高さが、1万個のチョコという数字に表れている。

第1位:チェッカーズ(2万1000個)

1983年にデビューし、瞬く間にトップスターとなったチェッカーズ。彼らは1986年のバレンタインデーに2万1000個ものチョコを受け取り、「チョコレート所得番付」のトップに輝いた。

また、当時のバレンタインデー熱の高さを象徴するエピソードとして、宮内庁にも取材が入ったという話がある。なんと、浩宮さま(現在の天皇陛下)が受け取ったチョコの数を確認しようとした記者がいたのだ。それほどまでに「チョコの数=人気」という概念が浸透していたのである。

光GENJIの圧倒的バレンタインチョコ伝説

バレンタインチョコ文化の変遷と昭和の名残り

現在、多くの芸能事務所はファンからの贈り物(特に食品)の受け取りを禁止しており、昭和のようなバレンタインの光景はもはや見られない。しかし、かつてはアイドルの人気を示す重要な指標として、バレンタインチョコが存在していた。チョコの数を競うことがファンとアイドルの間で当たり前だった時代。その名残はすでに消えつつあるが、昭和のアイドル文化を語るうえで欠かせないエピソードとして今も語り継がれている。

バレンタインデーが単なる恋愛のイベントではなく、アイドルとファンをつなぐ一大イベントだった時代。そんな熱狂があったことを、今の世代にもぜひ知ってもらいたい。