ドラマ『小さい頃は、神様がいて』が、静かで優しい余韻を残して最終回を迎えましたね。
このまま、すんなり渉とあんが復縁してしまう結末も、ちょっと期待してしまいましたが、それでは納得できない自分もいました。
ハッピーエンドは求めているけど、安易な終わり方はしてほしくない、ということなんですよ。
そんな私たちの気持ちをくんでくれたわけでは無いでしょうが、最後に渉とあんが出した答えが、このドラマの終わり方としてあまりにもピッタリで、しかも、1年後の二人まで描いてくれたのが、嬉しかったなー。
派手な展開や分かりやすいハッピーエンドではないのに、放送後のSNSには「涙が止まらない」「尊すぎる」「こんな終わり方ずるい」といった声があふれているのもわかります。
私と同じような思いで見ていた人がこんなにもたくさん居たのか、がわかり、なぜ、そうなったのか?を私なりに分析してみました。
最終回のあらすじ|静かなクリスマスイブ
物語の舞台はクリスマスイブ。
東京に寒波が訪れ、あんの部屋では暖房が故障してしまいます。何をしても部屋は暖まらず、ひとり寒さに耐えるあんの姿は、これまでの彼女の人生そのもののようにも見えました。
そんなあんを心配した渉は、「たそがれステイツでみんな一緒に過ごそう」と声をかけます。
元夫婦でありながら、今は別々の人生を歩んでいる二人。その距離感が、どこか切なくもあり、リアルでもありました。
集まった仲間たちと近況を語り合う中で、渉はついに自分の気持ちをあんに伝えます。
「離婚して他人かもしれないけど、今も僕は好きだし。
元夫だとか、友だちだとか、もう…もうなんでもいいから。
あなたの人生の横で、一緒にいさせてもらえないかな」
いわゆる「復縁しよう」という言葉ではありません。
それでも、渉の言葉には長い時間を共に過ごしたからこそ生まれる覚悟がありました。
復縁ではない「答え」を選んだ二人
渉の告白に、あんは涙をこぼします。
その後、二人は屋上で育てていたローズマリーを一緒に摘みに行きます。このシーンが、とにかく象徴的でした。
そこであんは、静かにこう答えます。
「分かった。佐藤あんと小倉渉として、ずっと近くで一緒に生きてく」
夫婦に戻るわけでも、恋人関係になるわけでもない。
それでも「人生の隣にいる」という選択。
この瞬間、二人は**“元夫婦”という過去を否定せずに、でも縛られもしない関係**を選びました。
なぜ「復縁しない結末」がこんなにも刺さるのか
この最終回が尊いと言われる理由は、ここにあります。
多くのドラマでは、離婚した男女が再び結ばれると、それが「正解」や「ハッピーエンド」として描かれがちです。
でも『小さい頃は、神様がいて』は、そこをあえて選びませんでした。
・一度壊れてしまった夫婦という形
・でも、気持ちまでなくなったわけじゃない
・それでも、同じ形には戻らない
この微妙で曖昧で、でもものすごく現実的な関係性が、多くの視聴者に刺さったのだと思います。
特に中年世代にとっては、「やり直す=元に戻る」ではないという感覚は、かなりリアルです。
中年の恋と人生を丁寧に描いたドラマ
このドラマが素晴らしかったのは、恋愛だけを描いていないところです。
仕事、老い、孤独、後悔、そして希望。人生の後半に差しかかる世代が抱える感情が、とても丁寧に描かれていました。
渉もあんも、完璧な人間ではありません。
失敗もしてきたし、誰かを傷つけたこともある。それでも「誰かと一緒に生きたい」と願う姿が、とても人間らしかったです。
だからこそ、最終回のハグがあれほど胸に迫ったのでしょう。
派手なキスもプロポーズもないのに、あんなに泣けるシーンはなかなかありません。
SNSで「尊すぎる」と話題になった理由
放送後、SNSでは
- 「なんで中年の離婚した夫婦の告白で泣いてるんだ私」
- 「優しいドラマすぎる」
- 「賞をあげたい最終回」
といった声が多く見られました。
この反応こそが、この作品の価値を物語っています。
誰かの人生を否定せず、「こういう生き方もあるよ」とそっと差し出してくれる。そんなドラマでした。
まとめ|夫婦じゃなくても、愛は続く
『小さい頃は、神様がいて』の最終回は、
「復縁しない=バッドエンド」ではないことを、優しく教えてくれました。
夫婦という形に戻らなくても、
恋人という名前をつけなくても、
人生の横に並んで歩くことはできる。
そんな当たり前で、でもなかなか描かれなかった愛の形が、ここにはありました。
静かで、温かくて、少し切ない。
だからこそ、「尊すぎるドラマ」と呼ばれた最終回だったのだと思います。
引用元:『小さい頃は、神様がいて』最終回 “渉”北村有起哉&“あん”仲間由紀恵、たどり着いた答えに涙「尊すぎる」(ネタバレあり)

