『小さい頃は、神様がいて』第7話感想
子育てをテーマにした作品って、時々“心の深いところ”を揺さぶってきますよね。
『小さい頃は、神様がいて』第7話もまさにそのタイプで、放送後にSNSが「泣いた」「刺さった」であふれていました。
特に、ワンオペ育児の経験がある人からの共感が圧倒的。視聴中に胸の奥がギュッとした方も多かったはず。
私も、ワンオペ育児経験者なので、あんさんの苦しみや悲しみが痛いほど伝わってきます。
だけど、渉さんも決してダメな夫ではなく、あの年齢の男性に共通する鈍感さが、さらにあんさんを苦しめることになったんですよね。
それぞれが、いっぱいいっぱいな中で、なかなかお互いを思いやる気持ちなんて持てませんから。
私的には、「泣ける回」というよりは、身につまされる回、過去の自分を振り返って自責の念にかられる回でした。
渉さんの「誰も悪くないんだよな」という言葉も、グサグサ突き刺さってきます。
この記事では、第7話がなぜここまで“泣ける回”として話題になったのか、ストーリーを引用せずに、視聴者の反応やテーマ性を軸に解説していきます。
ワンオペ育児のリアルさに気づかされる構造や、脚本の工夫がどこにあったのか、まで掘り下げてお届けします!
■ コミカルな導入から一気にシリアスへ。感情の落差がすごい
今回、多くの視聴者を驚かせたのが“大人のままごと”という演出。最初はクスッと笑える雰囲気なのに、いつの間にか涙腺を刺激する深いテーマへと繋がっていきます。
このギャップが本当に上手くて、
「何これ? ただの遊びのシーンじゃないじゃん…」
と、気づいた頃にはもう胸が苦しくなっている展開。
“ままごと”という子どもっぽいモチーフで、家事や育児の重さを逆にリアルに見せてくる、その脚本の妙に視聴者は引き込まれていきました。
■ ワンオペ育児を経験した人ほど刺さる“あの重さ”
泣ける理由のひとつは、ワンオペ育児のしんどさを丁寧に再現していたこと。
経験者なら誰もが感じる、あの説明しづらいしんどさ――。
- 時間がない
- 休めない
- 同時進行が当たり前
- パートナーに理解されない孤独感
こういう要素を、言葉ではなく“体験している姿”で見せられることで、視聴者の記憶と強くリンクします。
SNSで
「当時の自分を思い出して泣いた」
「まさにこういう感じだった」
という声が多かったのもそのため。
ワンオペ経験のない人でも、“もしこんな毎日だったら…”と想像できるように作られていたので、幅広い層に刺さったのだと思います。

■ “一緒にやろう”の言葉が優しいのに重い
ままごとのシーンで印象的なのが、「一緒にやろう」というフレーズ。
これは単なる家事の分担ではなく、過去のすれ違いや見えない負担に対する“答え”のような言葉でもあります。
視聴者が泣いた理由の多くがココ。
「やっと向き合えた」
「この言葉が欲しかったんだよ!」
そんな共感が一瞬で爆発した場面でした。
家事や育児は、担当を決めればいいだけの話ではなく、
“精神的に寄り添えているか”
が大事なんだよね…と、気づかされる瞬間です。
■ 夫婦にも親にも独身にも刺さる“多層共感”
本当にすごいのは、この話がどんな立場の人にも刺さること。
- 子育て中 → 自分の生活に重なる
- パートナー側 → 相手の負担に気づく
- ワンオペ経験者 → 過去がよみがえる
- これから結婚したい人 → 将来を想像する
- 家族ドラマが好きな人 → 心理描写の深さに感動
共感の入口が多いからこそ、「泣いた」の声が一気に広がったんですね。

■ 計算され尽くした“泣ける構造”
第7話は、感動を生むための手順がとても丁寧。
- コミカルな入り口で警戒心を緩める
- ままごとで家事・育児の負担を“見える化”
- 過去の記憶とリンクさせて感情の流れを強化
- 短くシンプルな言葉でクライマックスへ
- 視聴者が自分ごととして受け止められる余白を残す
この構造だから、見終わったあとに“そっと刺さる余韻”が続くわけです。
■ まとめ:第7話は「家族への目線」を優しく整えてくれる回
泣けるドラマはたくさんありますが、第7話が特別だったのは「感情の涙」だけでなく「気づきの涙」を誘ったこと。
ワンオペ育児のリアルをただ描くだけでなく、家族の関係や支え方をもう一度見直すヒントになるような内容でした。
視聴者の多くが、
「もう一度見返したい」
「大切な人に観てほしい」
と言っていたのも本当に納得の回です。
📎引用元
『小さい頃は、神様がいて』“渉”北村有起哉&“あん”仲間由紀恵、大人の“ままごと”に共感続々「凄い…この脚本…」「涙出る」
