「光る君へ」26回、宣孝がまひろに贈った鏡の意味は?

AIが考える源氏物語 人気ドラマの感想

NHK大河ドラマ「光る君へ」は、まひろを演じる吉高由里子さんが好きなのと、「源氏物語」に昔から心奪われていたので、楽しみにしていたドラマのひとつです。

「光る君へ」感想

一話も欠かさず見ていますが、話の展開が早くて、良い意味で想像を超えたドラマ、という感じかな?

今までの大河とはガラッと変わりすぎていたので、もしかしたら、「大河ドラマ好き」には受け入れられないのかもしれないけど、私は興味深く見ています。

しかも、1000年以上前の話なのに、政治や出世のことなど、今と通じる場面も多く、考えさせられます。

26回のあらすじはこうです。

“大地震が都を襲い、災害が続く中、まひろ(吉高由)は夫である宣孝(佐々木蔵之介)の援助で家を修繕し、生活を立てていた。

一方、道長(柄本)は安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)から、この天変地異を治めるためには道長の娘・彰子(見上愛)を入内させるしかないと進言される。

一条天皇(塩野瑛久)は心労から体調を崩し、譲位して定子(高畑充希)と暮らしたいと行成(渡辺大知)に相談するが、それを聞いた道長は…という展開。”

もう、いろんなことが次から次へと押し寄せて、まひろと宣孝のちわげんかシーンや、まひろが怒って灰をかけるシーンが唯一のカンフル剤となっていますよね。

「光る君へ」感想

しかも、”次回予告では、まひろが「この子は私1人で育てます」と語る場面や、道長に抱きしめられながら「俺のそばで生きることを考えぬか」と語りかけられる場面があるので、目が離せないですよ。

その上、来週は、都知事選挙でお休みですから、2週間待たされるわけです。

そんな、お預け状態の中、宣孝がまひろに贈った鏡についての記事をご紹介します。

“宣孝が贈った鏡は、その思いを表すうつわとして象徴的な存在でした。

鏡の歴史をたどると、古代から神聖なものとされてきた鏡の意義が浮かび上がるでしょう。

まひろを通して、1000年前の人々の心の奥底に眠る思いが今に響き渡るのです。

『源氏物語』にも鏡に関する印象的な和歌が登場します。

「光る君へ」感想

光源氏が紫の上に贈った歌に「影見えて過ぎにし方の身を知るは曇りなき世の鏡なりけり」とありますが、この歌には深い意味が込められています。

「鏡に映る自分の姿を見て、過ぎ去った日々の自分を知ることができる。 それは、曇りのない世の中を映し出す鏡のようだ」という意味です。

表面的には単なる恋歌のようですが、実はこの歌には作者紫式部の思いが秘められていたのです。

紫式部は、この歌を通じて 当時の権力者である藤原道長への敬意と感謝の念を表現したと考えられています。

道長の庇護があったからこそ、紫式部は『源氏物語』を書くことができたからです。

「曇りなき世」とは、道長の治世を指し、その時代に生きられることへの喜びを歌に込めたのでしょう。

このように、平安時代の和歌には 表面的な意味の裏に、政治的な思惑や個人的な思いが隠されていることがあります。

宣孝がまひろに贈った鏡も、単なる贈り物以上の意味を持っていたかもしれません。

鏡は古来より神聖なものとされ 自己を映し出すだけでなく、真実を映し出すものとして象徴的に扱われてきました。

そんな鏡を通して、まひろは自分自身の内面と向き合い また周囲の人々との関係性を見つめ直すきっかけを得たのかもしれません。

平安時代の貴族社会では、こうした象徴的な品々を通じて 言葉には出せない思いをやりとりすることが多くありました。”

ということ。

鏡ひとつ取っても、平安時代の貴族たちの生活が垣間見られ、想像力をくすぐりますね。