クランベリーのスイートポテト、人気の秘密は?

クランベリーのスイートポテト コラム
クランベリーのスイートポテト

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帯広が誇る名物「クランベリーのスイートポテト」の歴史と魅力**

北海道帯広市を訪れる際、外せない名物として知られる「クランベリー」のスイートポテト。その大きさ、味わい、そして独自の歴史は、多くの人々を魅了してきました。特に本店には帯広のみならず、札幌や旭川、道外からの観光客までが詰めかけます。この看板商品に込められた物語をご紹介します。

クランベリーのスイートポテト

創業者の情熱が生んだ巨大スイートポテト

クランベリーのスイートポテトの歴史は、1972年に帯広市で「アンデルセン」としてスタートした洋菓子店に遡ります。創業者の水戸部昭二さんは、農家の出身でありながら、洋菓子職人としての腕を磨き、独立しました。当初はショートケーキやクッキーなどを中心に販売していましたが、1974年に満を持して「スイートポテト」を発売します。

このスイートポテトが特異だったのは、サツマイモの皮を器にした大きなサイズで販売されたこと。当時のサツマイモ菓子といえば、小さく、タルトに絞るようなものが主流でした。その中で大胆なアイデアを採用し、斬新さと美味しさを両立させた昭二さんの手腕が光ります。

家庭の温もりから広がる人気

このスイートポテトが誕生した背景には、昭二さんの家族の支えもありました。妻の由美子さんは、昭二さんがパン屋での修行時代に知ったスイートポテトに着想を得て、自店での製造に向けて尽力しました。当時の製法は手間のかかるもので、焼いたサツマイモをスプーンでくり抜き、バターや牛乳、砂糖と混ぜ合わせ、再び皮に詰めるという作業をすべて手作業で行いました。皮を破らないよう慎重に扱いながら、見た目にも美しく仕上げるその姿勢は、今も受け継がれています。

昭二さんは、販売促進にも積極的でした。「アンデルセン」と書かれた自転車に乗り、街を走り回りながら宣伝活動を行い、当時の地元では珍しかったスイートポテトを広めていきました。口コミでその評判は瞬く間に広がり、帯広の名物として定着します。

全国区の人気を確立した物産展の力

スイートポテトが全国に知られるようになったきっかけは、1980年代の北海道物産展でした。冬の祭りで作りためた雪だるまを帯広市のイベントで活用した際、その発想力が評価され、高島屋から物産展への出店依頼が来たのです。

クランベリーのスイートポテト

この出店を皮切りに、クランベリーは全国各地の百貨店でスイートポテトを販売するようになり、着実にファンを増やしました。当初は冷蔵での輸送が課題でしたが、1990年代には急速冷凍機を導入し、品質を保ちながら各地での販売が可能に。特に、現地で焼き上げたばかりのスイートポテトの香りと美味しさは、多くの顧客の心を掴みました。

今では親世代から孫世代までリピートする顧客が多く、いよてつ高島屋の物産展チームも「行列が途絶えない」とその人気ぶりを語っています。

素材へのこだわりと地元愛

スイートポテトの味の秘密は、素材への徹底したこだわりにあります。地元のサツマイモをはじめ、厳選した原料を使用し、「味付けは最小限に、素材の自然な甘みを生かす」という創業時からの理念を守り続けています。

現在、クランベリーでは道内産のサツマイモの使用拡大を目指し、新たな挑戦も進められています。2代目の水戸部公平社長は、「地元の菓子店として地域に根差しながら、さらに魅力的な商品を提供したい」と意気込んでいます。

クランベリーのスイートポテト

地域で愛され続ける理由

現在、クランベリーは帯広市内と幕別町に計5店舗を展開しており、どの店舗も地元客や観光客で賑わっています。また、ふるさと納税の返礼品としても人気で、オンラインでも多くの注文が寄せられています。

クランベリーのスイートポテトは、単なる商品ではありません。それは、地元愛と家族の絆、そして創業者の挑戦心が結晶した特別なお菓子です。その味わいに触れるたび、帯広の風土や人々の温かさを感じることができるでしょう。

帯広に訪れる際は、ぜひクランベリー本店に足を運び、この伝統と挑戦の象徴とも言えるスイートポテトを味わってみてください。そのずっしりとした見た目と、口に広がる優しい甘さに、きっと心を奪われるはずです。