PR

『ラムネモンキー』第4話、津田健次郎の熱演に涙。更生という「美談」の裏に置き去りにされた、被害者の気持ち

津田健次郎の熱演に涙。更生という「美談」の裏に置き去りにされた、被害者の10年 エンタメ・トレンド

ドラマ『ラムネモンキー』第4話、皆さんはもうご覧になりましたか?
津田健次郎さん演じる紀介(きすけ)の姿に、胸が締め付けられるような思いをした方も多いのではないでしょうか。

今回のエピソードが私たちに突きつけたのは、「人は更生できても、被害者の止まった時間は自動的には動き出さない」という、痛いほどシンプルで切実な真実でした。

改めて、この回が描いた「許さないという選択」について、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

奪われた時間は、どこへ行くのか

紀介は今、認知症の母親を介護しながら実家の理容室を切り盛りしています。
画面越しに伝わってくるのは、単なる「家族愛」だけではありません。

津田健次郎の熱演に涙。更生という「美談」の裏に置き去りにされた、被害者の10年

* やりたかった漫画家の夢を諦めたこと
* 自分の人生をずっと後回しにしてきたこと
* 終わりの見えない介護による心身の疲弊

介護の疲れとは、単なる体力の消耗ではなく、「自分の時間が存在しなかった感覚」が積み重なっていくことなのだと、紀介の表情が物語っていました。

それにしても、認知症の母親役の高橋惠子さんの演技も、鬼気迫るものがあります。

認知症を患う前は穏やかな人も、病気のせいで声を荒らげたり、表情がコロコロ変わったりするのは、よくあること。

年齢を重ねられても、なお美しい高橋さんが、演技とは言え、自分をかなぐり捨ててカメラの前に立つ、というところに、本当のプロ意識を感じました。

「立派になった加害者」という残酷な現実

そんな彼の前に現れたのは、かつて自分を痛めつけていた元不良。
驚くことに、彼は今や介護施設の取締役として成功し、温かい家庭まで築いています。

社会は、今の姿を見て「彼は立派に更生した」と評価します。過去の過ちは「若気の至り」という言葉で片付けられてしまうことも多いですよね。
でも、紀介にとっては違います。

> 暴力を受けた記憶は、今も彼の人生の選択肢を狭め、心を削り続けている。

加害者が「良い人」になった事実と、被害者の傷が癒えていない事実は、全く別の場所で同時に存在しているのです。

「許さない」ままでも、生きていい

「過去のことなんだから、許して前に進んだ方が楽だよ」
そう思う人もいるかもしれません。でも、その「許し」は一体誰のためのものでしょうか?

多くの場合、許しを求める空気は、加害者や周りの人間を安心させるためのものに過ぎません。本作の凄さは、紀介が「許さない」と宣言したことを、物語が決して否定しなかった点にあります。

「許さないまま生きる」ことも、一つの回復の形。
綺麗事ではないけれど、これ以上ないほど誠実なメッセージだと感じました。

私たちが今、できること

更生を「美談」として消費するのは簡単です。
けれどその裏には、説明されないまま置き去りにされた、誰かの大切な時間が隠れているかもしれません。

このドラマは、「その時間の存在を、なかったことにしないで」と、静かに私たちに語りかけています。

もしよろしければ、ドラマを観た後に少しだけ、自分の心に問いかけてみませんか?
「もう終わったこと」だと思っている記憶の中に、まだ立ち止まったままの誰かがいないだろうか、と。

介護疲れにいじめの過去も…津田健次郎が演じきるアラフィフのリアル 『ラムネモンキー』が描く普遍的課題