吉原遊郭の光と影を映し出すドラマが幕を開ける――『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第1話が放送開始
1月5日、NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』がついにスタートしました。その初回放送では、華やかな吉原遊郭の表舞台と、その裏に隠された悲しみや苦悩が生々しく描かれ、視聴者を強く引き込む展開となりました。物語の中心には、主人公・蔦屋重三郎(横浜流星)や、人気花魁の花の井(小芝風花)が幼い頃から慕う存在である“朝顔姐さん”(愛希れいか)が登場。彼女の死が、物語を新たな方向へと動かしていきます。今回は、朝顔の人生を通して、当時の遊女たちが抱えていた過酷な現実に目を向けてみましょう。
華やかさの陰に隠された遊女たちの厳しい現実
吉原遊郭で働く遊女たちの多くは、貧しい家庭に生まれ、幼少期に家族の借金のかたや人身売買によって吉原に連れて来られました。表向きは「奉公」とされていましたが、実際には彼女たちの意思とは無関係のものでした。幼い少女たちは、家族を救うためという名目で、自由を奪われた生活を強いられたのです。
吉原に入った少女たちは、まず「禿(かむろ)」として上級遊女の身の回りの世話をしながら、遊郭のしきたりや作法を学びます。ドラマ『べらぼう』でも、花の井が禿であるさくら(金子莉彩)とあやめ(吉田帆乃華)を従えている姿が描かれていました。こうした禿の中でも、特に素質があると見なされた少女だけが「振袖新造」として遊女見習いの道を歩むことが許されます。
しかし、すべての少女が振袖新造になれるわけではありません。振袖新造になれない少女は「留袖新造」となり、15歳頃から客を取るようになります。一方、振袖新造は17~18歳頃に「突出し」や「水揚げ」を経て、一人前の遊女として華やかにデビューしますが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。
朝顔姐さんの辿った光と影の人生
朝顔は、かつて松葉屋の花魁としてその名を馳せた女性です。幼い頃の花の井(幼少期のあざみ/前田花)や主人公の重三郎(幼少期の柯理/高木波瑠)に本の面白さを教え、2人にとって大切な存在でした。しかし物語の冒頭では、彼女が遊女としての栄光を失い、最下層の「二文字屋」で日々を過ごす姿が描かれます。
二文字屋は、年季が明けても行き場を失った遊女や、病気で働けなくなった者が集められる場所でした。そこでは、わずか2畳ほどの狭い部屋で暮らし、劣悪な環境の中で低賃金で客を取る生活を強いられました。朝顔もまた、過酷な状況に耐えながら生き続けていたのです。
病気や過労で亡くなった遊女たちは、無縁仏として浄閑寺に葬られることが多く、その寺は「投込寺」とも呼ばれました。安政2年(1855年)の大地震では多くの遊女が命を落とし、その死体が投げ込むように葬られたことからその名が付いたと言われています。「生まれては苦界、死しては浄閑寺」という川柳は、遊女たちの悲しい運命を象徴する言葉です。
吉原遊郭の光と影を描く物語の行方
第1話では、吉原遊郭の華やかさと悲哀が鮮やかに対比されて描かれました。艶やかな着物をまとい、禿や新造を従えた花の井の姿は、吉原の華やかな表舞台を象徴しています。一方で、かつては名を馳せた花魁だった朝顔が、二文字屋で朽ち果てていく姿は、遊郭の裏に潜む厳しい現実そのものでした。
朝顔の死をきっかけに、物語は新たな展開を迎えます。重三郎や花の井をはじめ、遊郭で生きる人々が抱える苦悩や葛藤が、これからどのように描かれていくのか。『べらぼう』は、吉原遊郭の光と影を鮮烈に映し出しながら、登場人物たちの運命を追い続ける作品として、視聴者の心を揺さぶり続けることでしょう。
この先に待つのは、さらなる輝きか、それとも深い闇か――。吉原の歴史と遊女たちの運命を辿る旅は、始まったばかりです。