なぜ「日記ブーム」が再び来ているのか
「日記ブーム」は、承認欲求の再発明です。
ただし、それは「誰かに見せたい」ではなく、「誰かに見られてもいい自分でいたい」という欲望のかたちです。
爆売れした『マイブック』をめぐる現象の核心は、紙への回帰ではなく、“コントロールされた公開”にあります。
SNS時代に手書きが見直される理由
SNSが普及してから、私たちは常に誰かの目を意識して生きています。
Z世代が手書きに戻るのは、その視線を一度“紙の上”に固定するためです。
スマホで投稿する前に、ペンで書き、文字の形や余白で感情を整えます。
それは自己表現でありながら、同時に自己防衛でもあります。
「見せる日記」は矛盾なのか
SNS上での日記投稿には「矛盾している」と批判する声もあります。
しかし実際は、「見られる前提で書くこと」こそ、現代の新しいメンタルマネジメントなのです。
書く時間が「反応の即時性」から自分を守るクッションになっています。
誰かに読まれるかもしれないという仮定が、書く人を丁寧にしているのです。

「アナログ回帰」ではなく「主導権の回復」
この現象を「アナログ回帰」と言ってしまうのは短絡的です。
Z世代は懐かしさを求めているのではありません。
アプリに預けた過去が、仕様変更やサーバー障害で簡単に消えてしまうことを知っています。
だから“記録の主導権”を取り戻すために、紙に戻っているのです。
手書きのノートは、タイムラインの中で流されない“自分の証拠”になります。
出版業界にとって、この潮流は単なる一時的なバズではありません。
SNSが情報を瞬時に消費させる時代だからこそ、「消えない記録」がブランド化しています。
『マイブック』の白い表紙は、“中身を自分で作る”余白の象徴です。
印字された日付だけが、日常を刻むためのフレームとして機能しています。
反対意見:「Z世代の奇行」と見る誤解
一方で、この動きに冷ややかな視線を送る世代もいます。
「Z世代がまた奇妙なことをしている」「結局はSNSのネタだ」と切り捨てる声です。
しかし、彼らが見落としているのは「書く」という行為の意味の変化です。
今の若者にとって、日記は“内省”ではなく、“公開前の整頓”なのです。
その整理された自己が、投稿として現れています。
今後:手書きが持つ「確証」としての価値
このブームの持続力は、今後どれだけ“自己整理の場”として機能し続けるかにかかっています。
AIが記録を自動生成する時代、手書きは“自分が書いた確証”として価値を持ちます。
ペンで書くことでしか残せない揺らぎが、人間らしさの最後の境界線になるのかもしれません。
次アクション:あなたの「記録」を見直す
次にすべきことは簡単です。
あなたの「記録」をどこに置くか、一度見直してみてください。
スマホの中か、白い紙の上か。
その選択が、あなたの“思考の深度”を決めるのです。

