「アンパンマン」は、作者やなせたかし氏の壮絶な人生体験から生まれた

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「それゆけ!アンパンマン」は、0~3歳の乳幼児層において、ディズニーキャラクターすら凌ぐ圧倒的な人気と市場シェアを誇っています。

本作品の作者、やなせたかし氏の壮絶な人生体験が、この絶大な人気の源泉となっているそうです。

アンパンマンのやなせたかし氏の壮絶な人生

やなせ氏は自身の子供時代に迷子になり、空腹に苦しんでいたところ、偶然出会った人に与えられたアンパンが命を救った経験があります。

また、自殺未遂や両親・弟との離別など、戦時下の厳しい環境で育った経緯も。

こうした背景から、困難に立ち向かうヒーローとしての「アンパンマン」が生み出されたのでしょう。

今日、アンパンマンは乳幼児向け市場の圧倒的な支持を受けており、ハローキティに並ぶ国民的キャラクターとして君臨しています。

その要因は、作品自体の日本的なヒーロー像や長年にわたるメディアミックスによる浸透力にあると言えるでしょう。

アンパンマンの生みの親である漫画家・やなせたかし氏の生い立ちは壮絶なものでした。

4歳の時に父が客死し、母や弟と孤独な生活を送っていたのです。

弟に比べて劣等感を持ち、自殺を考えるほどの精神的苦しみも経験しましたが、デザインを学ぶことで徐々に安定した生活を手に入れていきました。

その後、戦時中に中国で従軍し、帰国後は多才な仕事ぶりを発揮しながらも、代表作に恵まれないジレンマに悩まされました。

そのような波乱万丈の人生の中で、やがて世界的に大ヒットするキャラクター「アンパンマン」を生み出すことになったのです。

手塚治虫氏との出会いがやなせ氏の転機となり、アニメーションの短編を作る機会を得た、という話は聞いたことがあります。

また、サンリオ創業者の辻信太郎氏との出会いも重要で、やなせ氏の詩集を出版し、雑誌『詩とメルヘン』を立ち上げるきっかけとなったのです。

やなせ氏は50歳を目前にしていたが、これらの出会いがなければアンパンマンは生まれていなかったかもしれない、と思うと感慨深いですね。。

アンパンマンには大人向けと子供向けの要素があります。

最初は大人向けとしてスタートし、1968年に絵本『バラの花とジョー』に登場したときには、アンパンを配り歩く“人間”のキャラクターでした。

1970年の『十二の真珠』に登場したアンパンマンは、カッコよくもなく、お腹の出た中年のヒーローでした。地味なアンパンを渡し歩く姿は、ほかのヒーローから笑いものとされ、衝撃のラストで終わりました。

1973年にフレーベル館から出た『あんぱんまん』では、「アンパンの顔で空を飛ぶヒーロー」に次元転移し、子供向けのアンパンマンが始まりました。

出版社からは評判が悪かったが、幼稚園児など子供世代の評判を聞くようになり、やなせ氏は「この小さな読者に向き合い続けよう」と現在ある乳幼児向けアンパンマンの世界を完成させていきました。

物語には「敵」の存在も必要不可欠です。ばいきんまんの登場は絵本ではなく1970年代後半のアンパンマン・ミュージカルからでした。リアルな子供の反応をみながらミュージカルを作り替え、黒いハエをベースにした「ばいきんまん」を発明しました。

アンパンマンは日本の象徴でもあります。西洋文明から持ち込まれたパンに中身は日本産のアンコ。そのパンを作るのに必要なのは「菌」、ばいきんまんもかびるんるんもパンと共生関係にあります。アンパンマンは助ければ助けるほど自分は弱っていく、という設定も加味されています。

一方で、アンパンマンについては、物騒な都市伝説もあります。

例えば、アンパンマンは自分の力で町を支配下に置き、住民を恐怖に陥れているのかもしれません。彼の行動は善意から来ているように見えますが、実は独裁者なのかもしれません。

それに、アンパンマンは自分に従わない者を容赦なく倒してきました。バイキンマンやドリーなど、彼らは悪者扱いされていますが、本当は自由を求めていただけなのかもしれません。

さらに、アンパンマンワールドの食料は人間の子供から作られているという恐ろしい噂もありますよね。

アンパンマンが人食い集団を率いている可能性すらあります。

確かにこの見方をすれば、アンパンマンは正義のヒーローではなく、恐ろしい独裁者に見えてきますね。

でも、やはりこれらは噂話の範疇を出ないのかもしれませんし、信じたくないですよ!